刀剣ワールド桑名・多度 別館

「村正」の常設コーナー
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「ホテル多度温泉」(三重県桑名市)にある刀剣展示室「刀剣ワールド桑名・多度 別館」には、三重県桑名市で活動した刀工「村正」(むらまさ)の手による刀剣の常設展示が行われています。「刀剣ワールド桑名・多度 別館」では、村正の作品の他にも刀剣を展示しており、さらに「甲冑」(鎧兜)や「火縄銃」(ひなわじゅう)、「陣笠」(じんがさ)などを無料で公開。三重県桑名市にゆかりのある刀工・村正と「刀剣ワールド桑名・多度 別館」にて常設展示している村正の刀剣をご紹介します。

刀剣ワールド桑名・多度 別館はこんなところ

ホテル多度温泉

ホテル多度温泉

刀剣ワールド桑名・多度 別館は、ホテル多度温泉の「クラブハウス本館」と「レジデンス新館」の2つの施設に展示室があります。

ホテル多度温泉とはゴルフ場「東建多度カントリークラブ・名古屋」に隣接し、優雅なリゾートステイを堪能しながら刀剣鑑賞もできるホテルです。その他にも温泉やプール、桑名の旬を味わうことができるレストランなども併設。なお、入館は無料となりますが、フロントでの受け付けが必要となります。

【クラブハウス本館】

  • クラブハウス本館2階のコンペルーム内「刀剣・甲冑展示室」

【レジデンス新館】

  • レジデンス新館3階のペガサス刀剣展示室
  • レジデンス新館3階のローズウッド刀剣展示室
ホテル多度温泉のフロアマップ

ホテル多度温泉のフロアマップ

3つある村正の刀剣の特徴

刀剣ワールド桑名・多度 別館にて常設展示となっている村正の刀剣をご紹介する前に、村正について3つの特徴を解説します。

村正ってどんな刀工?

初代・村正

初代・村正

村正は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)出身で南北朝時代後期から室町時代前期に活動した刀工です。「千子村正」(せんごむらまさ)を名乗ったことでも知られる村正。

それは村正の母が「千手観音」(せんじゅかんのん)を信仰していたことが由来とされ、村正は自らを千手観音の申し子だとして千子姓を名乗るようになったと伝わります。

このことから村正一門は「千子派」(せんごは)と呼ばれるようになりました。そして初代・村正のあと千子派は6代以上続き、江戸時代の1668年(寛文8年)頃まで存続したと伝わっています。

表裏一致する刃文「村正刃」

村正第一の特徴と言えば「刀身」(とうしん)の「差表」(さしおもて:帯刀時、外側に面する方)と「差裏」(さしうら:帯刀時、内側に面する方)がほぼ同じ「刃文」(はもん)をしていることでしょう。これを「村正刃」(むらまさば)と言い、村正刃は村正の弟子達である千子派にも受け継がれていきます。

また、村正が好んで焼いたとされる刃文が、ゆるく波打つ「湾れ」(のたれ)や、規則的な波形「互の目」(ぐのめ)など。刃文の境目「匂口」(においぐち)は、よく冴えて明るく輝いていたことから、村正の刀は「覇気がある」と言うように例えられます。

脇差 銘 村正(表)

脇差 銘 村正(表)

脇差 銘 村正(裏)

脇差 銘 村正(裏)

魚の腹部にそっくり!「たなご腹形」の茎

村正の刀の「」(なかご)は、「タナゴ」という魚の腹部に似た形をしています。茎は刀身の持ち手部分になり、タナゴは体長6~7cmほどの淡水魚です。茎の下端が極端に細くなり、中央部分が盛り上がっている様子が、タナゴの腹部から尾にかけての曲線にとても良く似ています。そのため村正とその一門に多かった茎を、「たなご腹形」(たなごはらがた)と呼ぶようになりました。

  • タナゴ

    タナゴ


  • たなご腹形の茎

    たなご腹形の茎


刀剣ワールド桑名・多度 別館で常設展示している村正の刀剣

ペガサス刀剣展示室から見える風景

ペガサス刀剣展示室から見える風景

レジデンス新館3階のペガサス刀剣展示室にて常設展示している村正の刀剣は全部で4振になります。ペガサス刀剣展示室はパーティールームとして利用することも可能な開放感ある豪華な洋室です。

室内には、東建多度カントリークラブ・名古屋のゴルフコースを一望できる大きな窓も。春はゴルフ場の青々とした芝が美しく、冬はしっとりした静かな眺めのなか、刀剣や「」(あぶみ)、「浮世絵」(うきよえ)などを鑑賞することができます。では、桑名市ゆかりの刀工・村正の刀剣についてご紹介しましょう。

常設展示となっている 村正コーナー

常設展示となっている 村正コーナー

刀 銘 村正 俊次 俊広

刀 銘 村正 俊次 俊広」(かたな めい むらまさ としつぐ としひろ)は、「村正 俊次 俊広」と3人の銘が切られた合作です。「俊次」(としつぐ)は相模国(現在の神奈川県)で活躍した鍛冶で、「俊広」(としひろ)は、俊次の兄弟であろうと考えられる人物。

村正の生まれは美濃国(現在の岐阜県)とも伝わることから作風は美濃国の鍛刀方法「美濃伝」(みのでん)が多く見られますが、本刀のように相模国の鍛刀方法「相州伝」(そうしゅうでん)を交えた作品もあります。他にも相模国の刀工との合作も多いことなどから技術的交流を行っていたと推測されているのです。

刀-銘-村正-俊次-俊広

刀 銘 村正 俊次 俊広

槍 銘 村正

槍 銘 村正」(やり めい むらまさ)は、「三角造」(さんかくづくり)の「素槍」(すやり)になり、短刀(たんとう)や脇差(わきざし)を多く残す村正作としては大変珍しいとされます。穂先は美濃伝の作品に多い「地蔵帽子」(じぞうぼうし)が見どころのひとつ。そして本槍の刃文も表裏に同じ刃文を焼く村正刃となっています。

槍-銘-村正

槍 銘 村正

短刀 銘 村正

短刀 銘 村正」(たんとう めい むらまさ)は、「平造り」(ひらづくり)に、相州伝風のやや寸伸びの姿をした刀剣です。本短刀は2代・村正作と考えられる1振。差表には「刀身彫刻」(とうしんちょうこく)で不動明王(ふどうみょうおう)を表す「素剣」(すけん/そけん)の意匠、差裏には「腰樋」(こしび)が掻かれています。

短刀-銘-村正

短刀 銘 村正

脇差 銘 村正

「正」の字のみとなった茎

「正」の字のみとなった茎

脇差 銘 村正」(わきざし めい むらまさ)は、茎に村正と銘が切られていましたが、現在は「正」の字のみが残されています。

これは「徳川家康」の祖父、父、長男が、村正の刀により命を落としたという言い伝えが江戸時代に広まったことによるのです。

大名らは徳川家を祟る妖刀として所持をはばかり、その結果、銘を消す、あるいは別の字に変更することが行われてきました。本脇差は、徳川家と妖刀伝説の歴史を物語る貴重な刀剣になります。

脇差-銘-村正

脇差 銘 村正

「村正」の常設コーナー

「村正」の常設コーナー
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