桑名の文化・観光

鎮国守国神社と集古十種

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「鎮国守国神社」(ちんこくしゅこくじんじゃ)は、「桑名藩」(現在の三重県桑名市)ゆかりの神社です。桑名城の跡地「九華公園」(きゅうかこうえん)内にあり、拝殿の他「楽扇公百年祭記念宝物館」を併設し、「松平定信」(まつだいらさだのぶ)ゆかりの貴重な刀剣や甲冑、重要文化財「集古十種版木」(しゅうこじっしゅはんぎ)などを所蔵しています。鎮国守国神社の歴史や見どころを詳しくご紹介します。

鎮国守国神社とは

鎮国守国神社

鎮国守国神社

三重県桑名市にある九華公園は、桑名藩が所在した桑名城の本丸跡と二の丸跡に造られた、広さ約7.2haの公園。この敷地内にあるのが「鎮国守国神社」(ちんこくしゅこくじんじゃ)です。

鎮国守国神社とは、桑名藩の5代藩主「松平定綱」(まつだいらさだつな:鎮国公)を祀った「鎮国神社」(ちんこくじんじゃ)と「松平定信」(楽翁公)を祀った「守国神社」(しゅこくじんじゃ)を合わせた総称です。ふたつの神社は、第二次世界大戦後、宗教法人法制定に伴い、総称で呼ばれるようになりました。

本殿の他、1919年(大正8年)には拝殿、1934年(昭和9年)には「楽扇公百年祭記念宝物館」が完成し、松平定信が所持した刀剣や甲冑などを拝観することができます。また、毎年お正月には「新春かるた会」、5月には「金魚まつり」などの祭事が開催され人気です。

鎮国神社と桑名藩

桑名藩は、1601年(慶長6年)に「本多忠勝」が10万石で入封して立藩。本多家が2代続いたのちに、松平(久松家)が5代、松平(奥平家)が7代、松平(久松家)が5代と、1871年(明治4年)の廃藩置県で廃藩となるまで、19代にわたり引き継がれました。

鎮国神社に祀られている松平定綱は、桑名藩5代藩主で、1592年(文禄元年)生まれ。実母は「於大の方」(おだいのかた)で、江戸幕府初代将軍「徳川家康」とは異父兄弟です。於大の方は、徳川家康の実父「松平広忠」(まつだいらひろただ)と離縁して、「久松定勝」(ひさまつさだかつ)と再婚。松平定綱は久松定勝の三男として生まれました。

やがて江戸幕府初代将軍となった徳川家康は、義父・久松定勝とその3人の息子に松平姓を授与。徳川家康は、弟・松平定綱をとても可愛がったと伝えられています。

松平定綱は、江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」に仕えて、1609年(慶長14年)に下総山川藩1万5,000石を賜って大名となり、1614年(慶長19年)の「大坂冬の陣」、1615年(慶長20年)「大坂夏の陣」で活躍。その後も武功を重ね、1635年(寛永12年)桑名藩11万石を賜り、文武産業の振興に尽くしました。

この松平定綱の功績を讃えて、1784年(天明4年)に創建されたのが、鎮国神社。15代藩主「松平定永」の父「松平定信」が、現在の福島県白河市にある白河城内に創建しました。これを松平定永が、白河藩から桑名藩へと移封となったのに伴い、1823年(文政6年)に鎮国神社も桑名城本丸に移したのです。

守国神社と松平定信の生涯

松平定信

松平定信

守国神社に祀られている松平定信は、1759年(宝暦9年)生まれました。父は、江戸幕府8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)の次男で「田安徳川家」を興した「徳川宗武」(とくがわむねたけ)です。

田安徳川家は「御三卿」(ごさんきょう)のひとつで、徳川将軍家に嗣子がない場合は継嗣を出す家柄。松平定信は子どもの頃から頭脳明晰で、七男でありながらも、田安徳川家の後継者、もしくは将軍になることを密かに期待されていました。

ところが1771年(明和8年)に、父・徳川宗武が死去。田安徳川家の家督は五男「徳川治察」(とくがわはるあき)が継承し、松平定信は1774年(安永3年)に白河藩の藩主「松平定邦」(まつだいらさだくに)の養子に出され、将軍になる権利を喪失。

しかし、松平定信は萎えることなく、1783年(天明3年)に白川藩の藩主に就任し、藩財政の立て直しに成功して名君と呼ばれました。さらに、実績と人柄が評価され、1787年(天明7年)には、江戸幕府11代将軍「徳川家斉」の老中に。翌年には、将軍補佐の大役に抜擢され、江戸時代の3大改革と言われる「寛政の改革」を成し遂げたのです。

しかし、政治家として清く厳しすぎると非難され、1793年(寛政5年)に老中・将軍補佐を辞職。1812年(文化9年)には、嫡男・松平定永に家督を譲り、「白河楽翁」(しらかわらくおう)と号し「集古十種」の編纂を行うなど、風雅な隠居生活を送りました。守国神社は、松平定信の功績を讃え、松平定永が建立しています。

鎮国守国神社の宝物

鎮国守国神社 楽翁公百年祭記念宝物館

鎮国守国神社
楽翁公百年祭記念宝物館

楽扇公百年祭記念宝物館は、松平定信公の没後100年を記念して、1934年(昭和9年)に完成しました。鉄筋コンクリート造2階建、瓦葺、建築面積86㎡。

現在は有形文化財に登録され、松平定信公の遺品を中心に、桑名藩歴代藩主ゆかりの品々、約二千数百点が所蔵されています。

なかでも注目したいのは、重要文化財「集古十種版木」と松平定信が愛刀とした2振です。

重要文化財 集古十種版木

集古十種版木(鎮国守国神社蔵)

集古十種版木(鎮国守国神社蔵)

「集古十種」とは、江戸時代後期に松平定信が編纂した古宝物図録のこと。

松平定信は、古宝物を「碑銘」(ひめい:石碑に刻まれた銘)、「鐘銘」(しょうめい:梵鐘に刻まれた銘)、「扁額」(へんがく:横に長い額)、「法帖」(ほうじょう:古人の名筆)、「古画」、「文房」、「印章」、「兵器」、「銅器」、「楽器」の10種類に分類。古宝物の模写図を大きく取り上げ、寸法などの特徴、所在地を明記した図録・集古十種、全85巻、1859点を出版しました。

この印刷に用いられたのが、集古十種版木です。材質はサクラで、版木1451枚が楽扇公百年祭記念宝物館に所蔵され、重要文化財に指定されています。

脇差 銘 来国光

「脇差 銘 来国光」は、松平定信が父・徳川宗武から拝領したと伝えられる1振です。

刀工の「来国光」(らいくにみつ)は、鎌倉時代末期に山城国(現在の京都府)で活躍した名工。特に短刀地鉄が流麗精細で沸が強く覇気があると評価が高く、刀剣ワールド所蔵の国宝「短刀 銘 来国光」(名物 有楽来国光)が有名です。

本刀は、刃長40.7㎝の脇差。地鉄は板目肌に杢交じり、刃文は浅い湾れ(のたれ)に互の目が交る、品格の高さを感じる逸品。1940年(昭和15年)に、松平家から鎮国守国神社に寄進されました。

脇差 銘 来国光
脇差 銘 来国光
来国光
時代
南北朝時代
鑑定区分
桑名市
指定文化財
所蔵・伝来
鎮国守国神社

刀 金象嵌銘和泉守兼定(之定)金象嵌 銘 鳴神(号 鳴神兼定)

刀工の「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)は、室町時代に美濃国(現在の岐阜県)で活躍。切れ味が抜群で、最上大業物と評価され、「之定」(ノサダ)と崇められた名匠です。

本刀は地鉄が小板目肌、刃文は湾れに互の目で覇気があり、目貫に風神雷神の文様があったため、「鳴神兼定」(なるかみかねさだ)と呼ばれた名刀。「武田信玄」から旗本の荒川家、松平家へと伝来しましたが、松平定綱の孫「松平定重」(まつだいらさだしげ)が、幕府大老「酒井忠清」(さかいただきよ)へと譲り、松平家を離れました。

ところが、松平定信が酒井家に交渉してこの刀剣を取り戻すことに成功し、以来、松平家の宝刀となり、1909年(明治42年)に鎮国守国神社に奉納されました。

刀 金象嵌銘和泉守兼定(之定)金象嵌 銘 鳴神(号 鳴神兼定)
刀 金象嵌銘和泉守兼定(之定)金象嵌 銘 鳴神(号 鳴神兼定)
(金象嵌)
和泉守兼定
鳴神
時代
室町時代
鑑定区分
桑名市
指定文化財
所蔵・伝来
武田信玄→
松平定綱→
鎮国守国神社

この他にも、楽扇公百年祭記念宝物館では、楽扇公の自画像や甲冑、舞楽面、楽器などを観覧することができます。定例観覧日は、毎年5月2日と3日のみ。ただし、この日以外にも開館する場合があるので、確認すると良いでしょう。

境内には、戊辰戦争で犠牲となった桑名藩士を追悼して建てられた「忠魂碑」や楽扇公の和歌が刻まれた「楽翁公御歌碑」などもあり、愉しめます。

鎮国守国神社と集古十種

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